第3回 研究テーマ
6th Story CD『Moira』

  • 冨田明宏
    迷うな。そのCDケースは分解するために存在する。

    今回もご依頼いただいた通り「Sound Horizon(SH)初心者の皆様にもわかりやすくその魅力をお伝えしていくコラム」ということで書き進めようと思っているのだが、作品内容については「サンホララボ」でも語っているので一度置いておいて、まず言いたいのは〈SHはCDという形式でリリースされる音楽作品の限界に挑戦し続けている〉ということで、それがより顕著に表現された作品がこの『Moira』だったのかもしれないなと思っている。よくSHのファンである通称ローランたちの間で自嘲気味に語られる「新作のStory CDを買ったらまずケースを分解する」という、長きにわたる音楽史においても類例を見ない“謎の文化”があるのだが、『Moira』辺りからはもう迷うことなくCDケースのトレーを外してあちこち隈なく確認したり、(冥王様になりきって)トレーのツメ部分を目元にあてがってみたり、さらにブックレットをあれこれと舐めるように眺めては捏ねくり回す……などが当たり前に行われるようになった。本当のSH初心者、もしくは少しずつ興味を持ち始めている皆様からしたら我々の正気を疑うような話なのかもしれない。そして今書きながら「確かに正気ではない」ような気もしてきたが、SH作品と対峙する場合〈疑うことなくCDケースは分解するもの〉という認識は持っていて欲しいし、そうしなければ辿り着けない楽曲(隠しトラック)は確かに存在する。上述の通り〈SHはCDという形式でリリースされる音楽作品の限界に挑戦し続けている〉わけで、「音楽を聴く」ためだけに存在しているCD作品とは違い、聴覚はもちろん、視覚や触覚、さらには第六感をも駆使し「作品に潜んでいる謎を暴く」ことで、本作が持つ深淵にようやく触れることができるのだ。「CDとは斯くあるべき」という既成概念を文字通りぶち壊す楽しみを我々に与えてくれているのである。
    そして改めて、古代ギリシャを題材とした作品は数あれど、こんなにも魅力的な人間模様を瑞々しく描きながら、エンターテイメント作品としての純度や強度を持ちつつ、現代社会における諸問題とも重なる風刺的示唆にも富んでいる作品を、私は『Moira』の他に知らない。“運命”のいたずらによって引き裂かれた双子の兄妹エレフセウスとアルテミシアを中心に、喜怒哀楽あらゆる感情をつぶさに描いた楽曲を針と“糸”で縫い合わせるようにまとめ上げ、美しくも残酷な物語を群像劇的に奏でていく。復讐の鬼と化したエレフセウスが奴隷たちを引き連れ怒涛の攻勢を仕掛ける後半は、何度聴いても胸が熱くなる。〈人は運命に抗うことはできるのか〉という問いに対して、『Moira』は一つの可能性を我々の眼前に突き付けて見せたが、この物語をどう受け取るかについては私も未だに明確な答えが出せていない。ただ確実に言えることは、抗うことでしか得られない真実は我々の日常においても確実に存在するということだろう。リマスターされたことでさらに音像の輪郭が捉えやすくなり、気圧(けお)されるほどの迫力が備わったこの機会に、迷うことなくCDケースを分解しながら、ぜひ堪能してほしい名盤である。

  • さやわか
    歴史的遠近法の彼方

    僕は肩書きが「物語評論家」なこともあって、Sound Horizon(SH)がどのような、そしてどのように、物語を提示しているかに、いつも深い関心を寄せている。
    その観点で言うと『Moira』より前の2作品は、オムニバス的に各エピソードを配置しつつ、より大きな物語がStory CDの全体を貫くという構成を追求したものになっていた。『Elysion 〜楽園幻想物語組曲〜』はデヴィッド・リンチ監督の映画『マルホランド・ドライブ』ばりにトリッキーな(ほとんど謎解きに近い)ストーリー構成を行い、一方で『Roman』では主要人物の視点を明確にすることで、より物語全体を俯瞰しやすくしていたのだ。
    では、その前2作品を踏まえて作られた『Moira』は、どのような作品だったか。ひとことで言えばこれは、オムニバス的な構成を脱して、ひとつの強力な物語を味わわせようとしたものだ。そのことは、主役級の登場人物であるエレフとミーシャについて考えてみれば、わかりやすい。彼らは楽曲内で自ら行動するし、アルバム全体がおおむね二人の行く末を語る内容になっている。これは『Roman』におけるイヴェールが、主要人物ではあるものの、各楽曲で語られるエピソードの外部に属していたのとは対照的なことだと言えるだろう。
    そして『Moira』が語るのは、古代ギリシャ神話からのインスパイアを感じさせる壮大な悲劇だ。この重厚かつ骨太なモチーフの選び方も、前作までのオムニバス的な構成ではなし得ない、強力で一貫した物語を提供しようという考えあってこそのものだろう。SHのチャレンジングな姿勢、前作を超えてみせるぞという態度がひしひしと感じられる。
    このチャレンジは、まず前年にシングル『聖戦のイベリア』でレコンキスタ(中世スペインの国土回復運動)を描くことで試され、そしていよいよ『Moira』でアルバム1枚を使って全面展開された。その結果として『Moira』は、インディーズ時代の1stアルバム『Chronicle』の頃から試みられていた壮大な世界と歴史を盛り込んだ物語を、より深化させることに成功している。

    その深化とは、まさしくギリシャやロシアなど実在する土地、伝承、そして――歴史の手触りをはっきりと盛り込めたことに由来する。そう、この作品でSHは、物語とは歴史であると宣言していると言っていい。
    SHの物語が、しばしば悲劇的で、しかし僕たちの胸を打つのはなぜか。それは、それが僕たちのどうにも介入できないこと、「すでに終わってしまった過去を眺めること」でしかないから、つまり歴史であるからこそだ。米澤穂信の小説『氷菓』に、「全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく」という言葉があった。僕は『Moira』を聴くと、どこか切なくほろ苦い、そんな言葉を思い出す。僕たちリスナーは、イヴェールさながらに、歴史の外部にたたずんで、熱く、悲しい、過去をじっと思うだけなのだ。その独特の聴きごたえを、高い完成度で、最初に実現した記念碑的な作品。それが『Moira』なのだ。

  • 清水耕司
    屈指のスペクトラル感はエンタメ性に満ちた大作映画が如し

    Sound Horizon(SH)が世に放った『Moira』とはどういったアルバムなのか?
    そう問われれば、「スペクタクルだ」と答えられるだろう。聴き終えたあとは銀幕にかかった大作映画を鑑賞したような感覚が得られる。多くのロックやポップスのアルバムはある種のテーマを有していたとしても、基本的には各収録曲が独立し、関連性を持たない。だが、SHのアルバムは「コンセプト・アルバム」であり、アルバム全体で一つのストーリーが展開される。勿論、コンセプト・アルバム自体は過去にも多くのアーティスト・バンドたちが手がけてきたが、そういったアルバムと、あるいはSHの他アルバムと比しても『Moira』はスペクトラル感にあふれている。ゆえに、『Moira』を「最初に聴くSH」とするのは妙手だろう。
    そのように、『Moira』を一大エンターテインメントショーと化す根幹は何かといえば、その物語部分にある。『Moira』で紡がれる物語は、Revoがギリシア神話を新たに再編した神話劇である。そのため、タナトス(Thanatos)やミラ(Moira)といった神々の名をはじめ、エレフセウスやアルテミシア、アルカディアなどの登場人物名・地名がギリシア語となっている。勇者、殿下、奴隷といった単語も数々登場する。今作もSHらしく、歌や音楽をメインに、SE(効果音)やナレーション・モノローグを駆使しながら一つの物語が展開されていくが、馬を駆る音、船を襲う嵐なども含めて、深く読み解こうという意識を持たずともつかみ取れる雰囲気は、聴く者を惹きつけるだろう。
    登場人物もSH作品の中では、少年少女から老人まで、年齢層が幅広い。ミクロな視点では、彼・彼女たちがパーソナルな愛憎劇を描いていく。と同時にマクロな視点では、王家の継承者争いや、周辺部族の侵攻を含めた国の存亡、それらを覆いつくすような神の視点が描かれる。小波が大きなうねりへと変化するかのごとくドラマティックな展開、そして幾つもの楽曲中に見つけられる「運命」という壮大なテーマ。この、神と人間を交叉させながら展開する物語には、Revoのストーリーメイキング能力における活劇要素がふんだんに盛り込まれている。何よりも、SHの他アルバムとは違い、その物語が曲順通りに進行する点もスペクトラル感を増している。時系列や人間関係の錯綜による曲順組み替えがないため、難解さは弱まり、物語の始まりから一気に結末まで突き進んでいく高揚感を得られる。こうしてSH初心者にも楽しみやすい、かつSH屈指のスペクトラル大作という『Moira』が誕生している。
    無論、物語部分以外にもさまざまな要素がフックとして用意されている。ギリシア神話への関心が深まるのは自然な成り行きだろうが、楽曲的にも、SH楽曲の中では強い民族音楽色、共存するヘビーメタル感、宇都宮隆というボーカリストに対して敬意を払ったメロディラインなど、『Moira』ならではというキャッチーな魅力が今作には散らばっている。SHが扱うテーマ・モチーフは同時代性<普遍性という特徴もあいまって、『Moira』という異世界への扉は今も広く開かれている。

  • 冨田明宏
    『プログレッシヴ・ロック』 が好きなら

    リック・ウェイクマンやEL&Pなど物語性の高いプログレ好きなら!

  • さやわか
    海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』 が好きなら

    ヨーロッパ的な世界観を舞台に、侵略する者、される者、征服する者、される者、延々と争いが連鎖していく壮大な物語はまさしくコレでは......

  • 清水耕司
    小説 『銀河英雄伝説』(田中芳樹) が好きなら

    700年以上にわたってイスラム教徒とキリスト勢力が争った「レコンキスタ」をモチーフに、個と個、集団と集団が対立する中での「生」を描く。壮大なスペクタクル、突き進む物語性に惹かれる人ならばぜひ。

聖戦のイベリア
  • 冨田明宏
    アルバム『進撃の軌跡』 (Linked Horizon) が好きなら

    『進撃の巨人』に通底するメッセージに共感を持つのでは?

  • さやわか
    『ギリシャ悲劇』 が好きなら

    ギリシャ神話を扱っているというのはすぐわかると思いますが、特に注目に値するのは、単にそういう設定を使っているというよりも、そうした物語が与えてくれる悲劇性がばっちり味わえることだと思います。

  • 清水耕司
    漫画 『BASARA』(田村由美) が好きなら

    派手やかな物語と登場人物を展開させ、ギリシャ神話という世界の魅力が存分に味わえるのが【Moira】。
    ↑以外にも、『天は赤い河のほとり』『妖しのセレス』『聖闘士星矢』などの名作にピンと来た方はぜひ。

Moira

この商品は、一般CDショップやECサイトにて購入可能である。
ショップ購入特典は先着のため、各店舗にて無くなり次第終了とのこと。

  • 『聖戦のイベリア』
    ¥1,545+税 / KICM-2057
    (KING RECORDS)
  • 『Moira』
    ¥3,182+税 / KICS-3932
    (KING RECORDS)
ショップ購入特典 : yokoyan描き下ろしAround15周年記念イラスト絵葉書 参乃片 (上記2作品共通特典)
  • 『聖戦のイベリア』 『Moira』
  • 『Moira』は、桂遊生丸先生によりコミカライズされており、
    ウルトラジャンプ(集英社)にて連載しているが、 現在は休載中である。
    連載再開に関しては詳細が決まり次第、ウルトラジャンプ誌上にてお知らせ予定。

    詳しくはこちら

第3回の研究発表は以上となる。
今日もまた彼らの情熱に満ちた研究は続く......